選考委員会の講評
「第5回梅棹忠夫・山と探検文学賞」の選考委員会は2月3日、山と溪谷社会議室において、選考委員5人全員が出席して行われました。今回は選考対象42作品から、最終選考に残ったのは次の5作品です。
- 『狩り狩られる経験の現象学~ブッシュマンの感応と変身~』菅原和孝、京都大学出版会
- 『アホウドリを追った日本人~一攫千金の夢と南洋進出~』平岡昭利、岩波書店
- 『「辺境」の誇り~アメリカ先住民と日本人~ 』鎌田遵、集英社
- 『ツンドラ・サバイバル』服部文祥、みすず書房
- 『ブルーウォーター・ストーリー~たった一人、ヨットで南極に挑んだ日本人~』片岡佳哉、舵社
今回は、著者それぞれに、長い時間をかけ地道に取り組んできた成果を基底にした個性的な作品ばかりでした。しかも、その主題、分野、内容、叙述方法などなどが悉く異なっていました。それだけに、比較の基準を何に求めるかによっては激論が予想されました。ところが、議論は活発でしたが、これまでの選考会議で最も短い時間で結論が出たのです。各選考委員が授賞候補作品を提示した後に、「どの作品が授賞されても意義はありません」と付け加えられるのです。それほど拮抗していたのです。
『「辺境」の誇り~アメリカ先住民と日本人~』の著者は、独特の視点でアメリカ先住民の研究をしてきた方です。が、本作品限っていえば、「アメリカ先住民」と「福島、下北、太一」の人々を、同一に扱うのは根本的な誤りで、問題のとらえ方が表層的すぎるというのが選考委員一致した意見でした。
『アホウドリを追った日本人~一攫千金の夢と南洋進出~』は、わが国が近代国家へと確立していく過程を、「アホウドリの絶滅」という独創的な視点から明らかにしました。眩むような経済的利益の獲得に向かう「山師」たちの破天荒な行動力と思考、彼らを巧みに操る為政者たちとの絡み合う姿を、長期かつ緻密な現地調査によって探り出した膨大な資料を駆使しながら、あぶり出していく手法はみごとです。ただ、著者自身のアクティブな探検精神、行動する姿の描き方が不十分で、授賞にはいたりませんでした。
『ブルーウォーター・ストーリー~たった一人、ヨットで南極に挑んだ日本人~』は、その独自性、精神性、行動力、決断力、未知への探求心等々、探検に内在する諸要素の総合性において、魅力に溢れた作品でした。壮大な探検を完遂させた者だけが放つ、絞り出すような文章は、読むものを引きずりこむ魔力がありました。しかし、およそ9年に及ぶ大航海中の滞在地での交流・体験、本書を上梓するまで20数年を要した意味を、もっと書き込んで欲しいという不満が残りました。それらを含めて、文章と写真の構成、日付がないなど、「本」としての完成度に難があるという強い指摘があり、授賞を逃しました。
『狩り狩られる経験の現象学~ブッシュマンの感応と変身~』は、著者の30年余に及ぶ文化人類学者としての集大成といえる大著です。30年余にわたってボツワナのカラハリ砂漠に通い、ブッシュマンの暮らしと野生動物たちとの狩り狩られる関係を緻密につづりました。その豊富な内容、多面的な構成、具体的な叙述、読了後、思ってもみなかった分野へ眼を開かされる。そんな想像力を刺激される贅沢な本です。しかし、本書は第一義的には「研究論文」であり、「文学」賞に相応しいのか、という思いが払拭しえなかったのです。断腸の思いで授賞を見送りました。
『ツンドラ・サバイバル』の活動舞台は特別困難な、選ばれた者だけの世界ではありません。にもかかわらず、著者の行為が注目されるのは、現代社会における探検(冒険)の質的転換を促しているからではないでしょうか。現代科学文明の利便性が蔓延し、地理的、空間的な未知の領域が狭まった今日、探検(冒険)のバリエーションは人間の精神性、内面性という知的な活動と深くかかわっていかざる応得ないのです。例えば、野生動物を狩って自らの食料とする著者の行為は、人は動物と同じ地平にあるという主張で、「グリンピース的な自然保護」へのアンチテーゼなのです。行為の全体性を貫くメッセージの明確性、探検の先駆性において4作品に抜きんでており、選考委員一致で「第5回梅棹忠夫・山と探検文学賞」に選出されました。
著者 服部 文祥(はっとり ぶんしょう)
日本の登山家
1969年横浜生まれ
1994年、東京都立大学フランス文学科卒業
山岳雑誌『岳人』の編集部員
信濃毎日新聞記事
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