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選考理由
生態学にはじまり、民族学、比較文明学などで学術的偉業を残した梅棹忠夫氏は、つねに行動し、未知の世界をさがしもとめていました。その姿勢の原点は山にあり、登山や探検行為を経て、さまざまな分野で独自の知的世界が構築されたと言えるでしょう。
梅棹氏は旧制三高山岳部員として信州に足を踏み入れてから、夏、冬、春の休みごとに、その地で青春を過ごしました。2009 年に刊行された『山をたのしむ』(山と溪谷社)で、彼は、「山は高さだけが問題ではない。未知への探求、これが一番大事なこと。未知のものと接したとき、つかんだときは、しびれるような喜びを感じる」と回想しています。
そうした彼のたゆまない「未知への探求」と「探検」の復権とあらたな展開を期して、2010 年3 月、青春を過ごした信州の地に「梅棹忠夫・山と探検文学賞」が創設され、委員長に小山修三氏を、山の分野で齋藤惇生氏、探検の分野で石毛直道氏のお二人を顧問に迎えました。
「梅棹忠夫・山と探検文学賞」の選考は、おおむね5 年以内に出版された91冊を事務局で選定し、2 度の予備選考を進めました。最終選考は5月26 日、東京のアルカディア市ヶ谷で、選考委員4名の出席のもと、『ヤノマミ』(NHK出版)、『インパラの朝』(集英社)、『空白の五マイル』(集英社)、『アースダイバー』(講談社)の4作品について討議されました。
選考委員の熱心な討議の結果、4作品のなかから、角幡唯介氏の『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』が、選考委員5人の全員一致で、第1回「梅棹忠夫・山と探検文学賞」に決定いたしました。
本書の舞台は、探検史のなかで常に注目されてきたチベットの奥地、ツアンポー峡谷と呼ばれる世界最大の峡谷です。ここに、1924年に英国のプラント・ハンター、キングドン・ウォードが入域して以来、幾多の探検隊が踏査に入りましたが、最深部の「空白の五マイル」を埋めることはできませんでした。その「五マイル」の謎を解き明かすべく、著者は2002 年~ 2003 年、2009 年の2度にわたって踏査を試みます。
本書は、時にその成果を個人的な充実に還元し、従来的な意味での冒険譚的な箇所もみられます。しかし、チベット最深部のツアンポー峡谷に残された「空白の五マイル」にかかわる探検史を丹念に追い、自らも身体を張った命がけの旅に向かうのです。その活動の意義を社会にアピールするという、初期の目標設定が明確です。この点で、候補4 作品のなかで断然すぐれており、山と探検文学賞の原点とすべき点を備えていると判断いたしました。
受賞のことば
今回の受賞の知らせを聞いたのは、7 月に長い北極圏の徒歩旅行から帰国した日でした。
北極圏では氷上だけではなく、過去にほとんど記録のない夏のツンドラ地帯も縦断し、探検的な刺激の強い旅となりました。
その旅の直後に日本探検界の巨人の名を冠した賞をいただいたことに、何か因縁めいたものを感じます。
梅棹さんの時代とは違い、今は探検的な課題を見つけることが難しくなったことは確かです。
しかし、それでも体を張って探らなければならない未知なる対象が今でも世界には広がっています。
人は知られざる世界に憧憬を抱きます。その興奮を文章で表現することが、これからの私の大きなテーマのひとつです。
角幡唯介